ふじの治療室

犬と鍼灸師

ぎっくりシーズン

そう呼んでいるのが冬から春に切り替わる季節。

キュッと縮こまった体が、暖かさとともに徐々に緩み始める。こんな時に「ギクッ」となりやすいようです。本当に多い。

そんな季節でも、正しく身体の使い方ができていれば、そうは「ギクッ」が起こることはありません。

ぎっくり腰が起こるきっかけのほとんどが、物を持ち上げるときの動作と言われています。危険回避するためには、この時に膝をちゃんと使うこと、そして身体の前面で持ち上げること。腰はねじれに弱いですからね。これに気をつけるだけでも危険を回避できる確率はかなり上がると思います。

現在は春も終わりに向かい、嵐は過ぎ去った。私もゆっくり本が読めるようになるのかな。

Last Days 坂本龍一 最期の日々

見ようかどうか迷っていたが意を決して再生した。
迷っていたのは自分のメンタルがやられてしまうのではないかと警戒していたから。私は「悲しい」という感情に異常なほど弱い。やられてしまうとしばらく復活できない。
しかし、結果は見てよかった。特に坂本龍一を好いている訳ではない。でも、彼の人生の最後というものをどう捉えているのか、どう受け止めようとするのかを知りたかった。
とある末期ガン患者が「ストレスのないようにお笑いDVDばかりを見て過ごしていたらガンがなくなっていた」という話があるのだが、余命宣告をされている人間がそんな生活をできることが特別である思い、ほかの人の参考にはならないだろうと思っていた。
実際、私の父の最期も「何もしたくない」という状態であった。
坂本龍一はどうか。見ていると最期を受け止めている様子であった。音楽が作りたいという意欲に溢れているように見えた。しかし、それもまだ余裕がある段階であった。日が経つにつれて音楽を聴くこともできなくなっていく。
音楽を聴くには体力がいる。
そう呟いた。音楽は無理だけど『音』なら聴ける。そうも呟いた。
その『音』から作曲を始めようとする場面には震えた。そこまでしても、打ち込んできたものがある。人生をかけてきたものがある。そして、最期の時まで彼の指は鍵盤を弾くように動いていた。羨望の目で見てしまった。
「私の最期は…」そう思ったところで思考を止めた。自分に今できること、やりたいこと、求められることを一生懸命やろう。
記録を残していた坂本龍一と、それを公開してくれたご家族に感謝します。
 

なにもしない

自営業者の休日は「休む!」と決めないと休めない。無限にやることがあるのです。

事務的なこと、カルテのチェック、拭き掃除に掃き掃除、木の枝を切ったり、草をむしったり…etc

それが終わったら書斎で今月の予約に入ってる方々のひとり戦略会議、基礎解剖学の勉強、新たな分野の勉強、苦手分野の勉強…etc

ではいざ「休む!」となったら休めるのかといえばそうでもなく、未読のまま積まれている漫画に小説にその他諸々の本たちを読んで、アマプラに溜まっているウォッチリストを観て、大河ドラマと朝ドラのチェック…etc

休む!と言って家ですごそうとしても既にやることがリスト化されているという状態が常にできている。なのでたまに決めるのです「なにもしない!」と。

ということで、今日は何もしませんでしたので何もない。何もしないってとても背徳感があるんですよね。やってみてください。ドキドキしますよ。

「小さく強く」

ウチの治療院コンセプト。

ご存知のように扉を開けるまでのハードルが異常に高い治療室です。

世の中には色々な人がいて、その色々な人全てを相手にすることはできない。

ならば、できる限り自分と波長が合う人に来てほしい。

扉を開けるには勇気がいるが、開けて入って来てくれた人には最大限の力になりたい。

そんなことから設定したコンセプト「小さく強く」。もっともっと強くなれるように日々勉強したり、汗をかいたり、脂汗や冷や汗をかいたりしております。

「根本的に治してほしい」

そう言われることはよくある。

症状の根本原因を見つけてくれということだ。それが私の仕事である。

が、根本原因というものが何かスイッチのようなものと思っている方が結構いる。これが私を悩ませる。

カイロプラクティックのように「構造的に問題のある背骨(スイッチ)を正せばよくなる」だったり、鍼灸では「この症状にはこのツボ(スイッチ)に針を刺せば…」など、確かに一つの刺激で劇的によくなるということはある。

しかし、そうもいかない方がほとんどであり、回数を重ねないと見えてこないことが多々ある。

そして。本当の意味での根本原因とはその人の「生活」なのだ。原因はそこにしかない。そこを改善する気がないと、何をやっても対症療法でしかないのではと考えてしまう。だが生活を変えるというのは容易なことではない。これは一体どうするのがいいのだろうと、最近そんなことをドンの散歩しながら考えている。いつか答えは出るのだろうか。